<11月22日(土) 雪景色になっていた朝>
入院中に一冊の本を読み終えた事とその内容から得るものが大きかったのも、手術の効能と言えそうだ。その一冊とは、「始まっている未来 新しい経済学は可能か」(宇沢弘文・内橋克人共著)である。
含蓄ある多くの中から、2点を記しておきたいと思う。
1.内橋氏は、「人間らしく生きるには豊かさが必要だという順序なのに、いまは逆立ちして、豊かさが満たされていれば人間らしく生 きられる、という話になっている」と。マネーゲームのように儲ければ良しといった風潮の社会。それを増長する御用経済学者たちが 如何に多いことか。経済学は何のためにあるのか、経済学の原点を再確認する必要があると考えさせられた。
2.宇沢氏は、1991年、その時々の世界が直面する重要な問題について深く考察しローマ教会の正式なドキュメントであり、ローマ 法王が在位中に必ず一つは出される「エンシクリカル」の「レールム・ノヴァルム」の新しい回勅の主題として、「社会主義の弊害 と資本主義の幻想」を提案した方である(これらのことも宇沢氏についても初めて知ったのだが)。その根本に、医療、環境、教 育などの「社会的共通資本」を、市場原理主義に則った金儲けの素材にすべきではないという考えから、社会の様々な事象を捉えてい ると理解した。内橋氏と同じく、「人間らしく生きる」為の経済のあり方の大切さを教えられた。
戦後の日本への占領政策の背景や世界における「パックス・アメリカーナ」の実態を理解でき、それを踏まえて、わが国の「始まっている未来」を考えたいものである。ご一読を進めたい。
入院中に一冊の本を読み終えた事とその内容から得るものが大きかったのも、手術の効能と言えそうだ。その一冊とは、「始まっている未来 新しい経済学は可能か」(宇沢弘文・内橋克人共著)である。
含蓄ある多くの中から、2点を記しておきたいと思う。
1.内橋氏は、「人間らしく生きるには豊かさが必要だという順序なのに、いまは逆立ちして、豊かさが満たされていれば人間らしく生 きられる、という話になっている」と。マネーゲームのように儲ければ良しといった風潮の社会。それを増長する御用経済学者たちが 如何に多いことか。経済学は何のためにあるのか、経済学の原点を再確認する必要があると考えさせられた。
2.宇沢氏は、1991年、その時々の世界が直面する重要な問題について深く考察しローマ教会の正式なドキュメントであり、ローマ 法王が在位中に必ず一つは出される「エンシクリカル」の「レールム・ノヴァルム」の新しい回勅の主題として、「社会主義の弊害 と資本主義の幻想」を提案した方である(これらのことも宇沢氏についても初めて知ったのだが)。その根本に、医療、環境、教 育などの「社会的共通資本」を、市場原理主義に則った金儲けの素材にすべきではないという考えから、社会の様々な事象を捉えてい ると理解した。内橋氏と同じく、「人間らしく生きる」為の経済のあり方の大切さを教えられた。
戦後の日本への占領政策の背景や世界における「パックス・アメリカーナ」の実態を理解でき、それを踏まえて、わが国の「始まっている未来」を考えたいものである。ご一読を進めたい。
<11月20日(金) 朝方 雪がちらつくも 明るさを覚えた一日>
三泊4日による両目の白内障手術が成功裡に終わり、スッキリ、はっきりと爽やかな視野を回復できた。
見ずらかった4色で記された下手な字が一杯の手帳も、浮き出るようにはっきりと見える。町並みの景色も、太く濃iい輪郭線で描かれた感じである。
入院中の食事は期待をしていたわけではないが、やはり病院食で、過度なカロリーからは遠ざかりバランスあるものであった。肝臓にとっても、久しぶりの休養だったと思う。
好評な白内障専門医の院長が手術をしてくれたS眼科では、食事は部屋食ではなく食堂である。病床も7床で手術日は火曜日と木曜日だからであろうが、今回は6人の入院患者であった。男女それぞれ3人が向かい合っての食事。会話は無いに近い。映画などに出てくる刑務所か収容所が脳裏に浮かんだ。
同室のお二人は80歳近くだったが、楽しい方々であった。一日目の昼と夜の食後に、「おやつを食べるわ」と、菓子袋からモノを出して一人口にしている。まっちゃんなら、分け与えるのになぁと思った。
右目の手術によってはっきりと見えた翌朝、また、「おやつ・・・」。口にしているのは、何種類もの薬であった。菓子袋ではなく、薬袋であった。部屋は、笑いの場と化した。
スッキリ、はっきりと見えないことは、いかに誤解が多かったことかと反省である。世の中の事象も、誤解の無いようにスッキリ、はっきりと見なければならないことにも気づかせてくれた白内障手術の効能であった。
三泊4日による両目の白内障手術が成功裡に終わり、スッキリ、はっきりと爽やかな視野を回復できた。
見ずらかった4色で記された下手な字が一杯の手帳も、浮き出るようにはっきりと見える。町並みの景色も、太く濃iい輪郭線で描かれた感じである。
入院中の食事は期待をしていたわけではないが、やはり病院食で、過度なカロリーからは遠ざかりバランスあるものであった。肝臓にとっても、久しぶりの休養だったと思う。
好評な白内障専門医の院長が手術をしてくれたS眼科では、食事は部屋食ではなく食堂である。病床も7床で手術日は火曜日と木曜日だからであろうが、今回は6人の入院患者であった。男女それぞれ3人が向かい合っての食事。会話は無いに近い。映画などに出てくる刑務所か収容所が脳裏に浮かんだ。
同室のお二人は80歳近くだったが、楽しい方々であった。一日目の昼と夜の食後に、「おやつを食べるわ」と、菓子袋からモノを出して一人口にしている。まっちゃんなら、分け与えるのになぁと思った。
右目の手術によってはっきりと見えた翌朝、また、「おやつ・・・」。口にしているのは、何種類もの薬であった。菓子袋ではなく、薬袋であった。部屋は、笑いの場と化した。
スッキリ、はっきりと見えないことは、いかに誤解が多かったことかと反省である。世の中の事象も、誤解の無いようにスッキリ、はっきりと見なければならないことにも気づかせてくれた白内障手術の効能であった。
<11月15日(日)雨が降ったり 晴れ間があったりと 落ち着かない天気だった>
今回の4つの視察先に加えて、10月に行った観光経済委員会での視察先の考え方や取り組みを見ると、様々な点に大きな問題提起がなされていると思った。
今後のまっちゃんたちの暮らし方そのものや町づくりのあり方と町の将来像も、変えざるを得ないと再認識である。
市民とお話をしていても、行政を頼らずに自らがどのように取り組むのかが大切ではないかとの意見をよく耳に入る。
行政依存からの脱却は当然であるが、行政の役割をどのように考えるべきなのであろうか。議会にしても、市民にしても、それぞれの役割を再考する必要がありそうである。
協働のまちづくりといわれるが、「協働」とは一体どのような意義なのだろうか。力と心を合わせて事に当たる「協同」もある。一緒に仕事に関る「共同」もある。
まっちゃんの一人会派名はコラボレーション21であるが、そのcollaborationの訳は、「共働、合作、提携」であった。英語使用の表現は聞こえは良いが的確な解釈には無理を感ずるまっちゃんである。
2回の視察から、まっちゃんなりに理解したことは、「協同」「共同」「協働」「コラボレーション」のあり方が、これからの暮らし方や町の将来像に大切なポイントになると言うことであった。
今回の4つの視察先に加えて、10月に行った観光経済委員会での視察先の考え方や取り組みを見ると、様々な点に大きな問題提起がなされていると思った。
今後のまっちゃんたちの暮らし方そのものや町づくりのあり方と町の将来像も、変えざるを得ないと再認識である。
市民とお話をしていても、行政を頼らずに自らがどのように取り組むのかが大切ではないかとの意見をよく耳に入る。
行政依存からの脱却は当然であるが、行政の役割をどのように考えるべきなのであろうか。議会にしても、市民にしても、それぞれの役割を再考する必要がありそうである。
協働のまちづくりといわれるが、「協働」とは一体どのような意義なのだろうか。力と心を合わせて事に当たる「協同」もある。一緒に仕事に関る「共同」もある。
まっちゃんの一人会派名はコラボレーション21であるが、そのcollaborationの訳は、「共働、合作、提携」であった。英語使用の表現は聞こえは良いが的確な解釈には無理を感ずるまっちゃんである。
2回の視察から、まっちゃんなりに理解したことは、「協同」「共同」「協働」「コラボレーション」のあり方が、これからの暮らし方や町の将来像に大切なポイントになると言うことであった。
<11月12日(木) やはり北海道はサムイ!!>
早割り航空券を使った格安での先進地視察を終えて、昨夜遅く帰宅した。
かなりのハードスケジュールであったが、先進地から得た内容もかなりのもので、報告書作成もハードとなりそうである。
対応してくれた南医療生協とゴジカラ村、国分寺市のNPO 冒険遊び場の会、はちおうじ志民塾のそれぞれの取り組みは、多くの示唆を得ることが出来た。
その中でも、ゴジカラ村内の「森の幼稚園」の子供たちは、広場で土いじりなどそれぞれの思いで遊んである。冒険遊び場の会が行う公園内での取り組みも、子供自らの手づくりをベースにして楽しませているようである。
両方とも、コンセプトは何故か同じ方向であると理解した。それは、現代社会の子供たちの問題・課題の背景や原因を把握した上での、実践からのコンセプトとそれを元にした取り組みである。
冒険遊び場の会では、強い雨空の下で、15日に江戸時代にタイムスリップするイベントの準備中であった。その一つに、何故か「足湯」の予定もあった。登別温泉のPRを条件に、「湯の華」を提供することにして来た。晴天を祈るばかりである。有意義な3日間であった。
早割り航空券を使った格安での先進地視察を終えて、昨夜遅く帰宅した。
かなりのハードスケジュールであったが、先進地から得た内容もかなりのもので、報告書作成もハードとなりそうである。
対応してくれた南医療生協とゴジカラ村、国分寺市のNPO 冒険遊び場の会、はちおうじ志民塾のそれぞれの取り組みは、多くの示唆を得ることが出来た。
その中でも、ゴジカラ村内の「森の幼稚園」の子供たちは、広場で土いじりなどそれぞれの思いで遊んである。冒険遊び場の会が行う公園内での取り組みも、子供自らの手づくりをベースにして楽しませているようである。
両方とも、コンセプトは何故か同じ方向であると理解した。それは、現代社会の子供たちの問題・課題の背景や原因を把握した上での、実践からのコンセプトとそれを元にした取り組みである。
冒険遊び場の会では、強い雨空の下で、15日に江戸時代にタイムスリップするイベントの準備中であった。その一つに、何故か「足湯」の予定もあった。登別温泉のPRを条件に、「湯の華」を提供することにして来た。晴天を祈るばかりである。有意義な3日間であった。

