まっちゃんのホームページ
地方議員の感じたこと、考えたことなどをちらほらと・・・。
「気忙しいこの頃」
<5月14日(月)昨日あたりから陽当り 明日からは崩れる予報>

 気忙しい日々が続くこの頃だ。今日は、観光経済委員会と漁業組合との意見交換。来週も、他経済団体との意見交換や地域経済活性化に向けた条例研究会もある。

 全国大学政策フォーラムや絵本の読み聞かせボランティア養成講座に向け、具体的なスケジュール等の整理や後援先等へのお願いやら挨拶もしなければならない。

 6月定例会の一般質問の準備も必要だ。したいことやしなければならないことが、次から次へと湧き出てくるようだ。

 ある人に言わせると、自らが忙しくしているのではとの指摘。確かに、それは言えないことはない。

 しかし、持って生まれた性分なのか、出来る限り行動しようとするが、しなければならないことだけに絞るべきなのだろうか。

 このようなことを考えるから、気忙しくなるのか。魚との会話や旬の山菜との触れ合い、登山などに時を向ける必要がありそうなまっちゃんである。
「二つの映画」
<5月6日 晴れたと思いや連休最終日も 昼近くから雨が>

 長期入院していたk議員が、奥さん運転の車に乗り快気祝いをもって顔を出してくれた。

 最悪の事態も想定せざるを得なかった病状であったのに、健康管理に留意すれば良しとのことである。奥さんの安心した笑顔を見て、まっちゃんも二重に嬉しかった。

 滅多にないことに昨日は、BS日テレの「めがね」とUHBの「阪急電車 片道15分の奇跡」の二つの映画を観た。

 前者は、小林聡美や市川実日子らが出演で重い?テーマの内容であった。現代の人間関係や管理社会のあり方を問いかけたものと受け止めたが、考えさせられた。

 「ぼんやりの時間」(辰濃和男著)の「ぼんやりと過ごす時間は、貴い!」の本を思い出した。時の流れに追われている、遅れまいとすることに反省である。

 後者は、中谷美紀、宮本信子らが出演で、これも現代社会の人間関係や世情の問題を、面白く興味深く描いた内容だった。

 「人」の様々な悩みを、「他人」が「人」の心に如何に入り支えていくべきかを考えさせられた。

 「絆」以上に、「人」の如く、支え合って成り立っていることを痛感した。

 雨の連休で予定が潰れたが、来訪者、映画や読書、資料整理に向えたのは良かった連休としようっと!!
「脱原発」
<5月5日(土) 遅い雨上がり 観光施設は痛い涙が>

  3.11大震災は、まっちゃんたちに多くの問題提起をしてくれた側面があると捉えているが、まっちゃんたちは、その問題提起に何らかの取り組みをしていると言えようか。

 日々の暮らしや経済活動などを見直す機会を与えられ、どのように見直すと良いのかと考えるからである。

 今晩、泊原発は定期検査で止まり、国内に50基ある原発が全て止まることになる。42年ぶりの「稼働原発ゼロ」とのことだ。

 福島原発事故によって、原発の「安全神話」は崩れ、原発の恐ろしさ、危険性が明白になった。

 「稼働原発ゼロ」による電力不足が言われるが、電力会社間の送受電や火力発電のフル稼働で不足にはならないとも、耳にする。

 いずれにしても、これまでの豊かすぎの暮らし方や儲ければ良いといった経済活動のあり方などを考え直す時に思えてならない。

 単純過ぎるかも知れないが、簡潔明瞭に「危険なことはしない」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」に尽きるのではなかろうか。今日をもって、脱原発の日本としたいものと思う。
「がれき受入」
<連休後半スタート(木) 目覚めが早くなったこの頃だが 餌取りの鳥たちも寒そうな今朝>

 「がれき受入」で、全国的に賛否両論があるが、何故にこのような事態となって来たのだろうか。

 1番に政府にガバナンスが無いこと、2番に震災被災地や福島原発事故などに係る確かな情報提供が無いこと、3番に現地の声を生かした取組みが無い(少ない?)ことなどが、背景ではなかろかと思う。

 そして、国民の間に、感情的思考と科学的・論理的・思考の違いがあるように思えてならない。

 放射線などの専門的知識を持たないまっちゃんは、この「がれき受入」をどのように判断すべきか、模索中である。

 先月29日にあった「ほんとうに大丈夫?がれき受け入れ ー災害廃棄物広域処理〜必要性・妥当性・正当性からの政策評価〜」がテーマの講演会に参加した。

 講師の池田こみちさんは、どのような思想をお持ちの方かは分からないが、今後のカガクテキ・ロンリテキ?に思考する上で、一つの斬り口を得たと思っている。

 「必要性」では、被災地の復興上、広域処理は不可欠なのか、がれきの放射線量は問題ないのかなど。
 
 「妥当性」では、安全面や経済的合理性、被災地の現状・実態を踏まえた取組みかなど。

 「正当性」では、広域処理の決定プロセスなどはどうか。

 についての内容であった。

 国の政策への評価とがれきの安全面などに対する地方自治体としての政策はどうあるべきかと、分けて考えなければなるまい。また、まっちゃんたちが被災地に対応することは他に何だろうかとも思った。

 5月末に、被災地視察に行く予定だが、がれき受入れだけではなく他に協力すべきことなど、極力、住民から様々なお話を聞くことが必要と思っている。色々と聞くことも協力の一つのようである。
「パクリ」
<4月29日(日) 午後から曇り空に>

 最近、オープンした伊達市の物産館へ女房と行き、野菜の買い出し。行者にんにくや蕗、ミツバなどの山菜も並び、春の訪れを思うと共に、近くの山での山菜取りが楽しみになってきた。

 その後、カタクリやエゾノエンゴサク、イチゲ?の花で有名な石川町にある天理教教会の丘で、鑑賞しながら春を吸収。

 市内の大型菓子店に寄り道すると、商品ポスターに目が行く。地元菓子店のKに、まっちゃんがネーミング提供した「鬼の涙」と読みが同じ商品名が使われている。確かに、「涙」と「泪」の違いがあるが、果たして・・・・。

 最近、「白い恋人」と「面白い恋人」で、裁判沙汰になっているが、このようなパクリ?が身近にあるとは驚きである。

 パクリで、どこまで成功するか分からないが、頂けない。

 日本において、20年ほど以前の「発展途上社会」と現在の「成熟社会」における経済政策は、従来の経済学と違ったもので思考しなければならないと指摘されている。

 顧客の購買する心理状況も大きく違ってきて、従来の延長線上やパクリ的な発想と手法では、発展はないと言えそうである。